6 月 07 2011
女子柔道選手のセカンドキャリア
現役を退く決心をしてから早くも10年の歳月が過ぎようとしています。20代は競技者として柔道に没頭する毎日でしたが、30代は自分がどのような道に進みたいのか試行錯誤していたと振り返ることができます。現在は、福岡教育大学教育学部保健体育講座の講師(運動学、柔道)として授業や課外活動の指導を行っています。
現職に就く前は、東京都北区にある味の素ナショナルトレーニングセンターでJOCエリートアカデミー事業のアシスタントディレクターとして、ジュニア選手の強化・育成をサポートするための教育プログラムを企画・立案・実施していました。アカデミー生は、中学1年生から高校3年生までの卓球・レスリング・フェンシングの3競技団体のジュニア選手です。その間、柔道と関わる機会は徐々に少なくなり、私は何をしたいのかと自問自答を繰り返していました。次第に、柔道の指導者として選手の強化・育成に関わりたい、自分のチームを持ち、自分が柔道を通じて体験してきたこと、大切だと思っていることを後進に伝えたいという欲求が大きくなっていきました。

そのような迷いがあった中で私にとって転機となったのが、福岡教育大学の教員公募でした。福岡は主人の生まれ故郷でもあり、柔道がとても盛んで、過去に多くの日本代表選手たちが輩出されているところです。私が初めて日本代表選手として出場した国際大会や金鷲旗大会の開催地も福岡でした。私にとって福岡は思い入れのあるところであったため、柔道ができるのであれば福岡へ行くという選択肢もあるのではないかと考え、思い切って応募することとなりました。
昨年より現職に就くことになり、専門の柔道を生かすことができる恵まれた環境にとても感謝しています。私は新天地の福岡で柔道を極めるための試行錯誤を今度は現役選手としてではなく、教育者そして指導者として専念できることに喜びを感じています。昨年の今頃は、私よりも大きな男子柔道部員を相手にどのように指導者として関わっていけばよいのか分からず、戸惑いながら歩んできたように思います。初めて福岡大学で行われた合同練習に参加した時は、5分間の乱取りでこれでもかというほど投げられている本学の柔道部員を見て、愕然としたことを思い出します。これほど実力差があるのかと感じた時、何から手をつけていけばいいのか分かりませんでした。私が柔道選手として経験してきたことなど何の役にも立たないのではないだろうか、ただ指導者として何もしてあげられない無力さを感じ、呆然と立ち竦みました。これが私の指導者としての始まりでした。

それでも毎日柔道場に足を運んでいるうちに私はある事実にハッとさせられました。それは、本学の柔道部員が福岡大学の選手にあれだけ投げられても柔道を止めようともせず、また次の日も次の日も当たり前のようにせっせと道場に来て、健気に一生懸命に稽古して帰っていくのです。私は、「この学生たちは本当に柔道が好きなんだ、指導者の私が尻込みをしている場合ではない」と思い直したのです。さらに、「私が指導者としてできることをすべてやった上で、それでも私の力が及ばないのであれば、その学生を連れて他の指導者から教えを請うことがあってもいいのではないか」と思うようになったのです。
今年度より、在学生2名の他に新入生が男女2名ずつ増え、柔道部員6名でのチームとしての活動が始まりました。近い将来、4学年揃った時にはどのようなチームになるのか今からとても楽しみです。
※この原稿は、全日本柔道連盟女性プロジェクト部会で作成される「女子柔道選手のセカンドキャリアハンドブック(仮題)」の掲載原稿を転載しています。


