12 月 02 2007

Turning Point [Part 2] / あの試合、あの言葉「第22回 転機」(後編)

Published at 12:00 PM under It remains in the mind.

近代柔道2003年9月号掲載
文 布施鋼治

前編より続く)

96年のアトランタ五輪前後の出来事も印象深い転機だ。そのひとつとして楢崎は「減量」を挙げる。
「大学生の時まではずっと減量苦で、一番重い時には怪我をした影響で60kgくらいまで増えたんですよ。その時には8kgも減量しなければならなかった。こんなことをしていたら身体が壊れてしまうと思いながら、そういう減量をずっと繰り返していた。それで思い切って大学3年の時に階級を56kg級に上げてみたんです」

大学4年の時には同級で初めて日本代表に選ばれた。当然そのクラスでアトランタを目指そうと思ったが、そうすると今度は自然と体重が落ちてきた。
「減量をやっていると、リバウンドで体重が増える。反対に減量をしなくなると、体重が落ち着いてきた分、暑い時には普段55kgあった体重が53kgくらいまで落ちてしまう。もともと筋肉をつけて階級を上げたわけではないですから、60kgで練習していても力負けすることが多かったんですよ。でも1kg減量したら52kg級に出られるというふうに考えたら、どちらの階級で闘おうかと迷い始めたんですよ」

56kg級で獲ったタイトルを全部捨ててまで、再び52kg級で一からやり直す勇気が最初からあったわけではない。それでも下の階級の方が絶対に有利だと判断して、楢崎は52kg級でアトランタを目指すことにした。

そして念願かなって五輪の舞台に上がり、銅メダルを獲得する。3回戦でベルデシア(キューバ)との接戦に敗れたものの、気を取り直して3位決定戦を制したのだ。何よりも自分の柔道が80%程度できたことがうれしかった。

「最初から決めていたわけじゃないけど、これで十分だと思ったんですよ。オリンピックにも出たし、メダルも獲れたし。それから金メダルを獲るためにもう一度という気にはなれなかった。柔道に対する欲がないのであれば、納得のいく練習は続けられない。そういう気持ちでした」

その直後、楢崎は大学院へ進学するとともに、兼司さんと結婚した。
「とにかく環境を変えたかったんです。それまでは朝から晩まで強くなるための生活を続けていましたからね。1日のスケジュールの中に遊ぶという要素はまったくなかった。きっとその部分では疲れていたんでしょう」

完全燃焼を目指し
シドニー五輪へ挑戦

真剣に柔道を辞めることを考えた時期もあったが、すぐに答えを出すことはできなかった。残りの20%の部分で何か心の奥底に引っかかるものが感じられて仕方なかったからだ。

「本当にここで辞めても悔いが残らないかと自問自答したら、100%完全燃焼したという気持ちにはなれませんでした。特にアトランタでの3回戦を振り返ったら、非常に消極的な試合だと反省するしかなかった」

だからといって楢崎はすぐに死に物狂いで練習してシドニーを目指そうという気持ちにもなれなかった。確かに3回戦ではミスを犯したが、他の5試合は前述したように自分の柔道ができたと自負していたからだ。
「周囲は『まだやれる』『一度大舞台を経験した、これからが本番』と励ましてくれたけど、それからの4年が非常に長く感じられたんです。オリンピックに出られる力をずっと維持するとしたら、相当な練習量を確保しなければなりませんからね」

結局、楢崎は大学院生と妻を務める一方で、週3回学生と一緒に練習する生活を選んだ。束の間の猶予期間。そうすることで自分の気持ちを確かめようとしたのだ。
「その程度の練習だと、体力が落ちてくるし、後輩に投げられそうになるし、息が上がるし、掛けようと思った技も掛からなくなる。途中からは『当然だよ』と思いながら、練習していましたね。それ以外は柔道とはまったく関係のない生活をするようにしてね」

本格復帰か、それとも引退か。楢崎の気持ちは振り子のように揺れ動いた。結局、これ以上体力的に落ちたら復帰はできないというところまで落ちた時に、復帰を決意する。新しい動機が見つかったのだ。ちょうどバーミンガム世界選手権の選考会が迫っていた。

「モチベーションとしてオリンピックに出るとか金メダルを獲るという動機づけは単純明快じゃないですか。でも、それだけでは発奮材料にはならなかったんですね。私が復帰しようと思った本当の理由は金メダルではなく、自分の柔道を極めたいという思いが強くなったからなんです。試合で競い合っているうちに優勝できたら、それはそれで素晴らしい。そう思えるようになったんですよ」

シドニーへの切符をつかんだ楢崎は「ミセスとして初の代表」という見方をするマスコミが多かったが、それほど本人は気にしていなかった。

「だって私が結婚したからといって、強くなったとは思えない。それに環境が変わったからといって、柔道に取り組む姿勢もまったく変わらなかったし……。環境が変わって一番心配なのは、周囲の理解を得られるかどうかでしょう。独身の時は身勝手でよかったと思うけど、結婚するとそういうわけにもいかない。現役を続けるにあたって、周囲が快く送り出してくれるかどうかは非常に大きな問題です。私の場合、会社からも家族からも大いにやりなさいと言われたので、独身時代と変わりなく続けることができました」

シドニーで獲った銀メダルには100%満足しているという。思い切った自分の柔道をした上での結果だったからだ。少なくともアトランタでは味わえなかった完全燃焼を達成することはできた。

「周りから認められたいとか、目に見えるのも(メダル)が欲しいというのではなく、単純にもう一度弱点を克服して自分の柔道をやってみたかったんでしょうね。言葉で完全に表現することはむずかしいけど、もしかしたら自分の欲を満たすためにもう一度柔道をやろうと思ったのかもしれません」

悩んだ時期も無駄ではなかった。完全燃焼という名の金メダル。最後の最後で楢崎は自分に勝った。

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