UPDATE ◆マイクの自転車
3万人以上が走った東京マラソンの1週間前ぐらいから、朝、走っていると前を行くランナー、すれ違うランナーがかなり多くなった(気がする)。大会には他県あるいは外国からの参加者もいるのだろうが、都内1区平均1千人が参加したとしても、そんなに頻繁に出会う訳はないだろう。とすると、彼らのほとんどはふだんから走っている人たちで、たまたま出くわしただけなのだろうか(走っている姿を見ると決して走り慣れているようには見えないのだが)。
僕は海外出張した時でも、時間の許す限り朝走ることにしている。そして異国でジョガー同士がすれ違うと、とくに欧米では簡単な挨拶を交わすことが多い。そこには積極的にコミュニケーションを取るというよりも、何もしないで素通りするのがはばかれる、という雰囲気がある。一種の自己防衛策のようなものかもしれない。
一方、日本ではすれ違いざまの挨拶は皆無である。たまたま外国人ジョガーとすれ違うと「モーニング!」みたいな交流はあるが、そうでない限り、目も合わさない。これは国民性でもあるだろうし、人から見ると自分が走っている姿はこう見えるのか、という鏡映しの自分の姿を見たくないという気持ちの裏返し、そんな深層心理かもしれない。
考えてみれば人が多い東京では、ふだん歩いていたってすれ違う人と挨拶する訳ではないので、ジョガーが挨拶しないことは、ちっともおかしくない。逆に、向こうからニコニコして走って来て、大きな声で挨拶されたり、万が一ハイタッチなどを要求されなんてしたら、こっちは遠回りをして逃げてしまうだろう。
ロスアンゼルスのマンハッタンビーチにあったマイク・ドッドの家から、彼の身長に合わせたサドルのやたら高い自転車を借りて、ビーチ沿いをずっとサイクリングしたことがある。幾つビーチバレーコートがあるか?ただただそれを数えるための自転車での小旅行、1人旅。
確かハーモサビーチ辺りだったと思うが、少人数でビーチバレーをやっているグループがいて、入れてくれ、と話し掛けた。君が入ると1人抜けなくてはいけないから、と即座に断られたのだが、せっかく外国人がコミュニケーションを取ろうとしているのだから、もうちょっと相手にしてくれてもいいのにな、とも思ったし、関わりたくないという自分たちの世界に閉じこもった雰囲気も感じた。だから、当たり前といえば当たり前のことなのだが、アメリカ人だからといって、必ずしも皆が社交的な訳ではない。
でも、例えアメリカの草選手とはいえ、そのスポーツを担っている選手の役目として、新しい仲間(候補や予備軍)をオープンに受け入れるという気持ちは、常に持っているべきだと、今は思う。好きな人たちが好きな者同士でプレーしていればいい、そう思いたくなる気持ちもわかるが、それを乗り越えていかないと、そのスポーツはなかなか伝播していかないと思う。小さくても開かれたコミュニケーションの1つ1つの積み重ねが、そのスポーツをメジャーにするか否かの、分岐点になっていくのではないだのろうか。
(UPDATE 4439 針谷和昌)








